教会活動

互いに仕え合え~礼拝メッセージから~

「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが あとでわかるようになります。
                                        ヨハネ13:7 」

イエス様は最後の晩餐の夜に、弟子たちの足を洗われた。

アウグスチヌスは「謙遜」ということを
「支配することではなく奉仕することに名誉を見出すこと」
と言った。

私たちは口では「わたしなんてとてもとても・・・」と言いながらも
心の中で人を見下していたり、自分が優位に立とうとすることがどれだけ多いことだろう。

しかし私たちの主イエスさまは、人の形をとってこの地上に来てくださったことだけでもすごいことなのに、さらに弟子たちの足を洗うということをして、「へりくだる」とはどういうことなのかを教えてくださった。

「それで主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから
あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。 
                                       ヨハネ13:14」

「あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。
                                       ヨハネ13:17」

イエス様の愛を「知っている」だけではなく、「行動する」人になりたい。

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祝福=結語~礼拝メッセージから~

国と力と栄えはとこしえにあなたのものだからです。アーメン
                         マタイ6:13

主の祈りの最後の言葉である。
これは、「主の御国は、必ずなるのだ!!」という確信を表す言葉だ。
つまり、主の祈りは、私たちの信仰告白としての祈りだ。

パウロは、神様に用いられた偉大な宣教者だが、宣教地に赴いて福音を語り、手紙によって教え励ました。
その手紙を
「 私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、 知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。」
と結んだ。

これは恵み深い主に全ての栄光を帰し、賛美と感謝を表す言葉だ。

私たちにとって、生きている目的は何だろう?
「主に栄光を帰す」生き方か?
それとも
「自分が一番」の生き方か?
はたまた
「お金が一番」の生き方か?

「信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示」とパウロが書いた「イエス=キリスト」を仰いで、「神様に用いられる」生き方をしたい。

そして、「すべてのことは神様に栄光があります」と告白できる者でありたい。

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壮行式!!

 札幌に転勤になる兄弟姉妹の壮行式がおこなわれました!!

兄弟は、伊達福音教会の開拓当初、教会学校にきていたいわば「伊達福音教会の申し子?」
その後、紆余曲折を経て、イエス様を信じ、奥様と三人のお子さんとともに伊達福音教会に集い、役員など務めてくださいました。

感謝の心をこめ、みんなでお食事を持ち寄っての壮行式となりました。
テーブルの上には、みんなの思いのつまったお食事がずらり。

みんなからの、感謝の辞があり、兄弟姉妹からのおわかれの言葉があり、感謝な会となりました。
伊達にもどってきたいという願いがあるので、さよならではなく「いってらっしゃいheart02」のことばで送ります。

Dsc08078_2 Dsc08079 Dsc08080                   おいしそうnote食べましょうnote

Dsc08081 Dsc08082 Dsc08083 Dsc08088                              また会う日までshine

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完全な赦しを~礼拝メッセージから~

「私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しました。(主の祈りより)」

何度まで人を赦せばよいのか??

日本には「仏の顔も三度まで」という諺がある。
仏でも、三度だから、心優しい人でも三回赦せば上出来ということだろうか。

聖書には「7度を70倍するまで」とある。

マタイの福音書18:21~35には、王様から借金を赦される人のたとえが書かれている。
1万タラントという膨大な負債だ。
1タラント=6000デナリ。1デナリは、一日分の賃金だそうなので、軽く何千億の負債ということになるだろう。

私たちも神様にとうてい払いきれないほどの負債を負っている。
どれほど償っても償いきれないほどの負債だ。

それを神様はすべて無効にしてくださった。

自分に害のある人を赦すことはとても難しい。
自分の悪口を言う人、自分の仕事の邪魔をする人、いわれなき中傷をする人。
そんな人を赦せるだろうか??

その難しいことをイエス様は十字架の上で成し遂げてくださった。
「父よ。彼らをおゆるしください。」
「彼らは自分が何をしているのかわからないのです。」

この祈りの上に私たちの生きる道がある。

「イエス様が私にこのことをしてくださったから赦します。」
「イエス様。わたしが置かれている状況は、~です。どうぞ、助けてください。」

イエス様を見上げて歩んでいこう。

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弱さの中にある強さ~礼拝メッセージから~

「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。ヨハネ17:15」

「私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。」
という主の祈りと
「もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。ヘブル12:8」
という御言葉は、矛盾しないのか??

「試み」という言葉は、「テストする、試す」という意味がある。
たとえば、イサクをささげよ、と言われたアブラハムは神様への忠誠、従順さを試された。

神様のゆるしがあってテストがある。
そして、神様のテストはいつも私たちを堕落させるためにではなく、私たちをよりよく訓練するためである。

救われて、幸せいっぱいな時期を過ぎると誰もが、サタンのささやきを受ける。
「本当ニ 救ワレタノカ??」
「気ノセイジャ ナイノカ??」

このとき、神様に救われたことを「信仰」をもって受け止め、「理性」で確認することだ。
「感情」に左右されず、救われた事実をしっかり握り、みことばにたってサタンのささやきをしりぞけることだ。

「イエス様は私のために十字架にかかって私をあがなってくださいました!!」

サタンはかつての家来である私たちを、自分の手に取り戻そうとして必死である。
そしてこの時、私たちが必死でサタンの誘惑と戦っているようであっても、サタンとイエス様が戦ってくださっている。

「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。ルカ22:32」

このイエス様に信頼してしっかり結びついていこう。

礼拝後の証タイムにはたくさんの神様に信頼して歩む喜びが証された。
仕事が与えられた兄弟。
大学に合格した兄弟。
癌が見つかり手術したけれど「神様を信じていて本当によかった!!」という証をした方のこと。
先日、来伊したHideyo宣教師からの「本当に楽しかった」という手紙。
すべて、感謝します。
 

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神の赦しと人の赦し~礼拝メッセージから~

「私たちも私たちに負い目のある人たちをゆるしました。(主の祈りより)」

この言葉の意味は「私たちが赦すことに比例して赦してください。」ということだという。
もし、人の罪を赦すなら、私たちの天の父も私たちを赦してくださる。しかし、人を赦さないなら天の父も私たちをお赦しにならない。

人の罪を過大評価し、自分の罪はことさら小さく思うのが私たちの常ではないだろうか。
すぐ、人のしたことで怒り、裁き、自分にとって都合のいい人は愛し、損を与える人を排除していく・・・それが私たちの姿だ。

しかし、神様が私たちに望んでおられる生き方は違う。
1)人を理解すること
 人を批判したり、非難する前に理解するように努めること

2)忘れること
 訓練によって「お互いに赦しあうことを学ぶこと

3)愛することを学び、実践すること
 イエスさまが私に何をしてくださったかをいつも忘れないこと。
 自分が赦された経験がある人は、人を赦し、愛することを学ぶことができる。
 そして、そのことを実践することによって真の満足と喜びが与えられる。

こう考えてくると、私にこれができるのか、と思う。
しかし、「私にはできないけれど、イエス様にはできる。」のである。
今週もイエス様についていこう!!

 

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赦されたのだから赦せ~メッセージから~

「私たちの負い目をおゆるしください。」マタイ6:12(主の祈りより)

「罪」という言葉にあたる言葉はギリシャ語では5つあるそうだ。
そのうち、「負い目」と訳されているのは「オハイレイマ」という言葉で、これは「当然払うべきものを払わない。義務を果たさない」「負い目・負債」という意味があるそうだ。

自分の心の中を探るとき、本当にそこは汚いものでいっぱいである。
自分で気づいているものもあれば、自分でも目をそむけているものもあるだろう。
人を見下す心、批判する心・・・

だから私たちにはイエス様が必要だ。

「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」Ⅰヨハネ1:7

いつも、そらんじて口から出てくる「主の祈り」「私たちの負い目をおゆるしください」という言葉だが、「負い目」「ゆるされるとは・・・」と、心に覚えながら祈りたい。

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Hideyo coming!

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから(Ⅰコリント15:58)

03年~04年まで、教会でご奉仕してくださっていたHideyo Satake宣教師が、6年ぶりにアメリカから、訪問してくださいました。
そこで、Hideyo welcome 鍋partyが行われましたhappy01
教会の姉妹たちが整えてくださった鍋は、おいしく和気あいあいのpartyとなりました。
Img_0997
← みんなで しゃぶしゃぶpig



久しぶりのHideyoは、まったく変わっておらず、あれから神学校を卒業し牧師になり、結婚・いまやJr.もいるとは信じられないぐらい。
あっという間に時の隔てを乗り越えて昔のように話に花を咲かせました。
(しかもHideyoは、ちゃんと日本語を覚えていてくれたのでなおさら??花が咲きました。ヨカッタgood

当時小さかったお友だちが大きく成長して、びっくりさせるやら
当時まだイエス様を信じていなかった人がクリスチャンとして成長している姿を見せられるやら、
なぜか??近くにいながらなかなか会えなくなっていた人が来てくれて再会を喜ぶやら

うれしいことがたくさんありましたnote

ご奉仕してくださっていた時に始められた稀府での働きは、当時4名のお友だちに英語を教える・・・というところからのスタートでしたが、今は月一回15~20名のお友だちが集う働きになっていること、
また、英語クラスが続けられていることも感謝heart04
(Partyに来た英語クラスのお友だちは、英語で自己紹介しました!)

まさしく「あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っている」ですねhappy01

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← 最後に記念写真shine 

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日々の生活の満たしを~礼拝メッセージから~

主の祈りに
「私たちの日毎の糧を今日もお与えください。」
という祈りがある。

神様は、私たちの体の問題にも、関心がある。
「いつも喜んでいなさい。」
とおっしゃる神様は、
「食べ物については自分でなんとかしなさい。」
とはおっしゃらない。
神様は私たちの体の必要にも関心を持たれ、現実的に必要を満たしてくださる。

また
「日毎の糧」ということは、
先々を心配しやすい私たちに、日々主に信頼することを教えている。
イスラエルの民が毎日マナを集めたように、神様の祝福を毎日毎日いただくことが大切だ。

また「私たちの」必要を祈ることが求められている。
「私」の必要を祈るときに、同時に「ほかの人の必要」を祈ることを神様は私たちに期待しておられる。

「日毎の糧」は体の必要だけではなく、霊的な必要のことでもある。
毎日のたましいのご飯も、神様から毎日いただきたいと思わされた。
  Img_0991               Img_0990      
Img_0994新役員の任命式がありました。
DAKCの教師任命式も。
今年も主に仕えよう                          

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宣教とは~礼拝メッセージから~

 2/8の礼拝は、ロシア宣教の土田先生がメッセージをしてくださいました。

「ひとつぶの麦が、もし地に落ちて死ななければ、それはひとつのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」

地に落ちて死ぬとは、「私が・・・」という自我を捨てて、イエス様の愛に死ぬこと。
そのように生きるとき、神様が豊かな実を結ばせてくださるのだ。

土田先生がロシア宣教のスライドを見せてくださりながら、語ってくださったロシア宣教の証はまさに「自我に死に、イエス様の愛に生きた」結果の証だった。

Ⅱ歴代誌12:1~7
全イスラエルが、主に対して不信の罪を犯したときに、エジプトの王がエルサレムに攻め上ってきた。
そのとき、レハブアム王とイスラエルのつかさたちがへりくだって「主は正しい」と言った。

主に自分の罪を告白して、悔い改めをしたある姉妹の証を通して、主に心から従い、「死ぬ」とはどういうことなのかを教えていただいた。
私は、こう思う・・・ではなく、どのような状況であっても「主は正しい。」といい、心から主に明け渡していくこと。
私たちもまた、そのような歩みをしていきたい。

Img_0974 土田先生の熱いメッセージ!!

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2009年伊達福音教会総会

2/1午後1時半~伊達福音教会総会が行われました。
今年のテーマは「宣教と群れの拡大」

「どうかあなたがたの父祖の神、主が、あなた方を今の千倍に増やしてくださるように。
そして、あなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように。」
(申命記1:11)


ただ主に信頼し、歩むことをみんなで確認した総会でした。感謝heart02

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ただあなたの聖旨だけを~礼拝メッセージ~

「天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。・・・」


主の祈りはイエス様がこのように祈るようにと教えてくださった祈りだ。
「みこころが天で行われるように」というように、天では神様の御心が100%成就している。
では、地上では・・・?
「祈っても聞かれない」「本当に神はいるのか?」
わたしたちがよくつぶやく言葉だ。

聖書は言う。
「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、
あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、
あなたがたの罪が御顔を隠させ、
聞いて下さらないようにしたのだ。」(イザヤ59:1~)

祈って応えられないのは罪がじゃまをするからだ。
神様側の問題ではなく、私たちの問題なのだ。

心から神様に悔い改めて熱心に祈りをするなら、その祈りは応えられるのだ。
そして、祈りは自分ができる見通しがついて祈ることではなく、祈らずにはいられなくて祈るものだ。

今年、祈りを熱く積んで歩んでいきたい。

礼拝後、ある姉妹が証(あかし)にたった。
「パートの仕事の継続をしてもらえなかった。
なんで、どうしてと不満があったけど、今日のメッセージを聞いて、神様に心から信頼して祈っていきたいと思った。」
神様は、この祈りにも応えてくださる!ハレルヤ!!、

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悔い改め

 なんと昨年10月から、すっかりBlogの更新ができずにおりましたが、
2月1日に教会総会が開かれて、教会も2009年の新しい歩み出しをはじめたことを
きっかけに、再度Blogにチャレンジしようと思っています。

この間に、なんとこの拙いBlogを見て教会を足を運んでくださった方もいて感謝ですheart02
神様が小さい教会になしてくださる、すばらしい業を、記していきたいと思っています。
またどうぞよろしくwink

「さあ、再建に取りかかろう」
と言って、このよい仕事に着手した。」ネヘミヤ2:18

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聖書の結婚観

この世の価値観とクリスチャンの価値観には大きな違いがあるが、結婚観もそのひとつだ。

「人がひとりでいるのはよくない。
わたしは彼のために彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2:18)

聖書でいう結婚は「チームを作ってお互いに補い合う。」関係だ。
また、イエス様が教会をどれほど愛してくださったかを日常的に知ることができるのが結婚の大きな意義だ。
犠牲的な愛、清い愛、育て養う愛、不可分の愛・・・
これらは、私にはとてもとてもとても・・・できないことだが、
神様にはできる愛だ。
わたしにはない愛を神様から注いでいただこう!

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キリストが教会を愛したように

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
                         エペソ5:25-27」


キリストは、いのちを投げ出して教会を愛してくださった。
キリストがそうなさったのはみことばによって、わたしたちを清めてくださるためだった。
そして、しみやしわやそういったものの何一つない「キリストの花嫁」になることができる。

エステル記を読むと、王様の妃になるために、何ヶ月もかかって磨き上げられていったお妃候補たちのことが書かれている。
当時随一の王様のお妃候補のためでもこれほどであったということは、「王の王、主の主」である方のためにはいかほどの準備が必要だろうか??

しかも、エステルはただ自分の栄華のためにお妃に選ばれたのではなく、イスラエル同胞を救うために神様に選ばれた器だった。
私たちも、ただ「キリストの花嫁」に選ばれたことに満足せずに、「同胞 日本人」が、キリストに立ち返るために用いられる者とさせていただきたい。


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ウェルカム礼拝~あなたはどこにいるのか~

「あなたはどこにいるのか?」

エデンの園で神様がアダムとエバに問うた。
二人は、神様から
「園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
と言われていた。

しかし、サタンの「あなたがたは決して死にません」という言葉の方を選んでしまった。
それ以来、人間は神様との交わりを避けようとするようになってしまった。
また、その理由をいろいろに言うことも・・・。
「私が悪いんじゃない」「あなたが作ったこの女が」「この蛇が」と言ったアダムとエバ同様に、責任転嫁の言い訳をいろいろ言うようになった。

しかし、こんな人間を神様は愛し、今も交わりを持とうとしておられる。
そして、探してくださっている。
「あなたは、どこにいるのか?」
と。

神様は今も、かけがえのないあなたをさがしておられる。
「あなたは、どこにいるのか?」
神様の前に立つことなどとうていできないと思う人ほど、神様は大喜びで迎えてくださる。


「 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」
                              (ルカ15:20 放蕩息子のたとえ)

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夫たちよ

「人がひとりでいるのはよくない。わたしは彼のために彼にふさわしい助け手を造ろう。
                                           創世記2:18」


神様の創造は、アダムが先に造られ、その助け手としてエバが造られた。
これが神様の秩序だった。

しかし、罪が入ったことによりこの秩序は壊れ、夫婦の間に不真実があったり隠し事があったり、信頼しあわなくなった。
理想で「夫婦はこうあるべき」と言っても、キレイゴトにすぎなくなってしまった。


では、どうしたらもう一度神様が造られた関係に戻ることができるのか。

「 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。     Ⅰヨハネ3:14」


イエス様を信じたことにより、私たちにはもう一度本当の意味での「他者への愛」がもどってくる。
なぜなら、イエス様は「愛のお手本」だからだ。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。  ローマ5:8」

私が、そのために命を落としてまで救うような価値なんか全然ない者であるのに、イエス様はその私のために命を捨ててくださった。
このことがはっきりとわかると、私に「本物の愛」がわかるようになる。そして、他の人にどのようにその「愛」を示せばよいのかがわかってくるのだ。


「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。                         エペソ5:25」

イエス様が、全く自分を犠牲にして十字架にかかって下さったように、己を犠牲にする愛
・献身的な愛を示すことができるようになる。

このメッセージを聞いていて思い浮かんだのは三浦綾子の小説「塩狩峠」の主人公「長野政雄」の生き方だった。
長野氏は、塩狩峠で列車が暴走した際、乗客の命を救おうとして自分の命を投げ出した。彼は、「イエス様が自分のために死んでくださったように、すべてを神様にささげます。」と、常日頃持ち歩いていた遺書にしたためてあったという。
そして、そのままの生き方をした。
まさに、長野氏は「イエス様をお手本」にした人だと思う。

「イエス様の愛をどれだけ感じているか」
これが、どれだけ他の人を愛せるか、ということの指標かもしれない。

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召天者記念礼拝~天の故郷にある人を思う~

「人間には一度死ぬことと死後に裁きを受けることが決まっているように・・・
                                          へブル9:27」

人は死ぬことが決まっている。
どんな偉い人でも、どんな金持ちでも・・・。
「死」の備えをしているか?

昨今よく「安らかに天国でお休みください。」のように言うけれど、誰もが死んだら天国に入れるわけではない。
天国に入るためにも、パスポートが必要だ。
そのパスポートは、イエスキリストである。
イエスキリストによって、わたしたちは「この人は、わたしの血によって清められたので、天国に入ることができます。」という承認をもらったのだ。

「召天者記念礼拝」は、いわゆる「○回忌」のように、故人をしのんで祈ったりするものではない。
もちろん、懐かしいあの人、この人の思い出を語り合うことはある。
そして、あの方のように、私も天国に行きたい、という思いを新たにし、日々の歩みを始めるときである。

「わたしたちの国籍は天にあります。  ピリピ3:20」

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礼拝メッセージから~妻たちよ~

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
                                         エペソ5:22~23」

「妻よ、夫に従いなさい。」という神様の秩序は、時代が変わっても変わらない。

時代錯誤??男尊女卑??

神様の秩序には、能力差も強弱もない。
祝福が与えられる秩序がそうであるということだ。

だから、「夫の方がえらいから、妻になんでもやらせる。」とか「女の方が今の時代、強くなっているのに」という話ではなく、神様の秩序がそうであるから、妻は教会がキリストに従うように夫に従うということだ。

昨年、伊達福音教会では、三浦光世先生をお呼びして講演会を持った。
秘書の方が随行されていたが、三浦綾子さんのことを評して
「本当に夫の光世先生に、したがっていた。
綾子さんの懸賞金で「TVがほしい」と言ったときも、光世先生がいらない、とおっしゃったら「なによ、わたしの懸賞金でしょ」ともおっしゃらずに「はい」と言っていた。
具合の悪いときも、光世先生が「しゃんと座りなさい」と言うと、そのとおりに従っていた。」という話をなさっていた。

自分の価値観ではなくて、神様の価値観に生きるとき、本当に睦まじかった三浦綾子さん光世さん夫妻のように、「こんなすばらしい関係があるんだ」と驚くような夫婦関係を、また人間関係を神様によって築かせていただけるのかもしれない。


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メッセージから「キリスト者の家庭生活」

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
                                         エペソ5:22~23」


イエスキリストを信じたことによって起こる変化はいろいろあるが、身近な人たちに
「あの人、変わったね~happy01!!」
と言われることは、すばらしい。

いつもぶつぶつ文句の多かった人が、喜んでなんでも進んでやるようになった。
短気な人が、優しいことばをかけられるようになった。
暗い考え方ばかりで「どうせ・・・」といっていた人が、前向きに考えるようになった・・・

世の中には「自己啓発本」やらなにやらがあふれている。
このような考え方をすればもっと向上するとか、このような習慣を身につければもっと運が向くとか・・・

でも、神様の与えるものは、世が与えるものとは違う。
自分ががんばってがんばって変わるのではなく、
神様の愛にすっぽり包まれたときに、生き方が「変えられる」のだ。
それは、まさに「神様の栄光の反映」にほかならない。

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キリスト者の家庭生活

「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
                                         エペソ5:22~23」

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変えられた生き方と証

「詩と賛美と霊の歌とをもって互いに語り主に向かって心から歌いまた賛美しなさい。」

イエス様が、その活動の最初になさったことは、エルサレムの神殿の宮清めだった。
また、十字架におかかりになる前にまさったこともまた、宮清めだった。

つまり、「清さ」というのは神様が喜ばれることである。
私たちが、聖書を読み、祈り、証する生活を神様は喜ばれる。

「いつでもすべてのことについて私たちの主イエスキリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」
「キリストを恐れ尊んで互いに仕えなさい。」

イエス様がそうであったように、謙遜・忍耐・優しさのある生活・・・私たち自身にこのような生活を送っていける力はないが、イエス様が心に住んでくださった時に、私たちは神様の前に正しく歩むことができる。
また、お互いに仕えあって生きることができるようにされる。

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礼拝メッセージから~賢い者のように~

「そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。
ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
                                        エペソ5:15,16」

クリスチャンの信仰生涯は、step by step、神様の前に一歩一歩だ。
罪を犯し、失敗しても、常に神様の前に出て、悔い改め、成長していくことだ。

「機会を十分に生かして用いなさい。」
とは、「時を贖(あがな)え」という意味だそうだ。
あらゆる時間を神様のために買い占め、用いる。
そして、神様の前に賢い者として歩んでいきたい。

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メッセージから~私とキリストが関係あるって~

自分の存在が認められない。
自分は愛されていない。
そんな孤独を持つ人が事件を起こす。                          

「わたしの目にはあなた高価尊いわたしはあなたを愛している」  
                                      
イザヤ書43章4節

すべてを創られた神様は、生まれる前から私たち人間の一人ひとりを知っておられ、その一人ずつを特別に愛してくださっています。
日本人は歴史の教科書から、イエス・キリストを知ることが多いでしょう。
十字架にかかって死んだ聖者。

なぜ、イエス・キリストは十字架にかかって死んだのでしょう。
神様から離れ、罪人となったすべての人の罪を贖うために、神様が、そのひとりごイエス・キリストをすべての人が罪のために捧げなければならなかった生け贄・子羊としてくださった。
誰よりも愛し、大事なはずの自らの子どもを差し出してくださった。
それほどに、神様は人を愛しておられるのです。
すべての人。
日本人は除かれるのでしょうか。
そうではありません。
もれなく、その愛にあずかっているのです。

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだといいますか。」     シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは生ける神の御子キリストです。」
                           マタイの福音書16章15,16節     
                

このシモン・ペテロはイエスに出会う前から、イエスのことは知っていました。
しかし、彼がイエスと出会った時、漁師だった彼が一晩かけても何もとれず、イエスがもう一度網を下ろしてみなさいと言ったとき、魚がとれるとは思っていませんでした。
予想に反して、魚が船いっぱいにとれたとき彼はひれ伏してこう言いました。
「主よ。私のような者から離れてください。私は罪深い人間ですから。」

知っていたけれど、信じていなかった。
すべての人を救いに導こうとされている神様は、あなたを愛しておられ、シモン・ペテロのように信じる者を待っておられるのです。

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お父さんに感謝!

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今日は「父の日」ということで、礼拝のあと教会に来ているお父さんにお花のプレゼントtulip

家族のためにいつもお仕事頑張ってくれていますから、感謝感謝happy01
これからも健康に気をつけて、元気に活躍してくださいsign01

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メッセージから~変えられた生活~

「けれども明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
明らかにされたものはみな、光だからです。
                                      エペソ5:13」

光であるイエス様は、光の働きをする。

光は暗闇を照らす。
それまでわからなかった神様がわかるようになる。

光は、実を結ばせる。
植物が育つために光が必要なように、私たちが実を結ぶためにイエス様が必要なのだ。

光は、悪いものを見分ける。
光に殺菌作用があるように、悪いものを見分けることができるようになる。
そして、自分の罪がよくわかるようになる。

日本人は、玉虫色が好きである。
あいまいで、どっちつかずが心地よい。
だから、クリスチャンであるのに、この世と調子を合わせて適当に生活することがある。
しかし、イエス様によって変えられたのだから、「光の子ども」として生活したい。

「眠っているものよ。目をさませ。
死者の中から起き上がれ。
そうすれば、キリストがあなたを照らされる。
                                  エペソ5:14」

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感謝満載!!石蔵ライブ!!

礼拝の後、全員で輪になって祈ってから石蔵にでかけました。

中に入ると・・・
あら??あったかいsun
ジェットヒーター2台が稼動して、とても快適な温度になっていました。
昨日の課題、クリアshine感謝heart02

朝からPAの方がセッティングしてくださり、すぐに練習が始められる状態になっていました。本当に感謝heart02
クワイアの声もとてもきれいに響き、リハも快調。

みんなで祈っていた天候は、本当に不思議なものでした。
あるクワイアメンバーとDAKCメンバー数名の住んでいる地域は、朝からどしゃぶりrain
実は、この日お祭りがあり、当初このお祭りに参加してからこちらに来るという綱渡りの予定でした。でも、どしゃぶりのため祭りは中止、ゆっくりと参加できたのでした。
石蔵付近の天候は、午後から雨が降ったものの、お客さんがいらっしゃった時には雨がちゃんとあがり、感謝happy01

開場直前にブレーカーが続けざまに2回落ちるthunderというアクシデントもありましたが、これも守られて事なきを得ました。感謝sign04coldsweats01

開場すると、次から次へとお客さんがいらっしゃって、あっという間に会場は埋まっていきました。感謝heart01

実は、この石蔵は線路のそばに建っていて、電車が通るたびに「ごおおdashtrainという結構な音が響き渡るのですが、ライブの間電車は何回か通ったものの、そちらに気が取られるということもなく、守られたのでした。感謝notes

ライブは、まさしく神様が臨んで下さって、素晴らしいものとなりました。
あるバンドメンバーいわく、「今までのライブの中で一番flairshine
感謝note感謝note感謝note
DAKCのお友だちの賛美も、大成功good

本当に今回のライブは神様からの素晴らしいプレゼントが満載のライブでした。
アンケートを読むと、教会員みんなで貼ったポスターを見てきてくださった方、多数。
たった数十秒のNHKの放送で来てくださった方も。
「伊達なんて遠くには誰も行かないと思いますよ。」と言われつつ、貼った豊浦のポスターを見てきてくださった方もhappy02
本当に感謝なアンケートがたくさんあり、感謝が深まりました。

全ての成功の栄光を神様にお返しいたします。
God is so Goodannoy

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礼拝メッセージから~暗闇から明るみに~

 「そのためには主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
実を結ばない暗闇のわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。
                                   聖書(エペソ5:10~12)」

イエス様によって救われた者には、生き方の変化が求められる。
求められる、というより自ずとその生き方が変えられると言ったほうが適切だろうか。
「主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」
という勧めがなされている。
どうしたら、そのような生き方ができるのか?
答えはやはり聖書にある。


「この世と調子を合わせてはいけません。
いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受けいれられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 
                                    聖書(ローマ12:2)」

 照準は神様にある。
私たちは、どうしても世の中のいろいろなものや、人の心などに目がいきやすい。
移ろっていくこれらのものに心を捉えられていると、根無し草のように、あっちへふらふら、こっちへふらふら、本当に大切なものが何なのか、何を目的に生きればいいのか、わからなくなる。
しかし、神様は暗闇から、明るみに私たちを引き出してくださる唯一のお方だ。
そのお方に照準をおいて生きるとき、私たちは古い自分を脱ぎ捨てることができる。

6月の第一聖日(日曜日)、私たちの教会では聖餐式を守る。
これは、イエス様が十字架にわたされる夜に
「これは、あなたがたのためのわたしのからだです。」と、パンを裂き、
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。」と、ぶどう酒をわけたことによる。
このパンとぶどう酒をいただくとき、イエス様が十字架でなしてくださったことを思うときだ。


「したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯をのむものがあれば、主のからだと血にたいして罪を犯すことになります。(聖書 Ⅰコリント11:27)」

「ひとりひとりが自分を吟味して」とも書かれているが、この聖餐式の時に、今までの自分の生活を振り返り、神様の前に悔い改めをし、「神様、このおろかなものをあわれんでください。」と祈るとき、自分は本当に「暗闇」から「光」へとらえうつされたんだ、と思う。
そして、自分は何の力もないものだけれど、とらえうつしてくださった方が真実だから、その方にすがって歩いていこうという気持ちを新たにする。

この日、午後からのライブに備えて、一緒に礼拝を守ったクワイアのメンバーからは、
「聖餐式で悔い改めをして、ライブに出られたのがよかった。」
という言葉があった。
「すべてを新しく」して下さる神様に、すがって歩いていこう。

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石蔵の準備!!

いよいよ、「伊達福音教会50周年記念Living in Praiseゴスペルライブ」前日となりました。
朝10時から、石蔵での準備活動に入りました。

石蔵は、大正時代に建てられた倉庫でとある通運会社の持ち物だった所。
名前の通り、壁が石造りです。

まず3人でこれからの準備が祝福されるように祈ってはじめました。
椅子を並べ、楽器をセッティングしていくと徐々に会場が形作られていきました。

しかし、ここで問題が・・・
それは、入り口。
重い鉄の扉でできているのですが、コンサートに遅れて来てくださった方のため、開けておきつつ、しかも夜風を防ぎたい。
そこで、暗幕を垂らそうということになりましたが、なにせ高さ3m以上ある扉を覆う暗幕となると・・・しかも、どうやって吊り下げたらいいのやら・・・。
50周年実行委員会で話し合っても結論が出ず、当日現地でなんとかしようということになっていました。
しかし大きな扉を前にすると、やはり「どうしたら??」
ところが、お借りした暗幕の箱の中に、とても大きな暗幕が一枚あり、これがこの扉にぴったりの大きさ!!
しかも扉の左右にあった釘に、これも暗幕についていたひもを引っ掛け、真ん中をひもで結わえると、まるであつらえたようにぴったり!!
神様の備えの素晴らしさに感動でした。

しかし、ここでもうひとつの問題が・・・。
それは、「寒さ」
6月になりなんとするのに、最高気温が12℃という寒さ。
教会員から借りまくった電気ストーブをつけると温かいけれど、明日のライブの時もクワイアの前にストーブを置くわけにもいかないし・・・。
しかも、明日も雨という天気予報。温度も上がらない予定。
「一体どうしたら・・・??」
すべてを神様に委ねて、準備を終えたのでした・・・ to be continued・・・

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礼拝メッセージから~生き方の変化~

「ですから、彼らの仲間になってはいけません。
あなたがたは以前は暗闇でしたが、今は主にあって、光となりました。
光の子どもらしく歩みなさい。
光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。聖書(エペソ5:7~9)」

私たちはイエス様を信じたときに「光の子ども」とされた。
罪にまみれていた私たちが、イエス様の血潮で清められ、光と聖さと愛を受けた。
自分が偉くなったのではなくて、ただ、神様のあわれみによる。
だから、神様から切り離されたら「無効」になる。
枝から切り落とされたぶどうが実を結ばないように、神様から離れたら決して実(=善意、正義、真実)を結ぶことができない。

だから、しっかり神様につながり、イエス様に私を「工事」していただきたいと思う。
自分の変化が誰の目にも明らかになり、証がたてられるように。 

礼拝後には「総員祈祷会」をしました。
みんなでグループに分かれ、祈りあいました。
最後にはみんなで輪になって伊達でのLiPライブのために祈りました。

今日はLaVera&Jimを迎えて昼食会も行われ、みんなでうどんをいただきました。
美味delicious
  

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礼拝メッセージから~真のきよさを求める生活を~

「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。 聖書(エペソ5:3)」

三浦綾子著「ちいろば先生」の中での話だったろうか、教会のバスに「聖徒用」と書いてあって、それに乗ると気恥ずかしい気がした、というエピソードがあった。
「聖徒」というと、なんだか歴史の教科書にあったような頭にわっかののった聖人のような感じがする。
しかし、「聖徒」とは「神様が目的をもってとりわけられた人」という意味だそうだ。
聖書の中では、神様がいろいろな人を「とりわけて」いる。(たとえばエサウよりヤコブ・・・)
それらの「とりわけ」は、私たちにはなぜなのか?わからないけれど、「神様が目的をもって」とりわけて下さった。
だから、神様がとりわけて下さったことを感謝した生き方をしたい。

「あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて新しい人を着たのです。
新しい人は造り主のかたちに似せられてますます新しくされ真の知識にいたるのです。
聖書(コロサイ3:9)」

新しい自分になりたい。
そう願うことは、誰にでもあることだろう。
自分の力では、そうできない、ということも誰しも経験していることだ。
イエス様は
「自分の力でそうしようと頑張るのではなく、わたしに明け渡してごらん。
あなたの内側に新しいあなたを形づくってあげるよ。」
とおっしゃってくださる。

そのために私たちがやるべきことは、聖書をしっかり読んで、聖書に問いかけ聖書から答えをいただくことだ。

「聖書をそのままおぼえよ!」
と牧師先生がおっしゃった。
みことばを、曖昧におぼえず、私的解釈でおぼえず、しっかり自分のものとしていきたい。

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2回目の教会案内配布!!

今日は、今年2度目の教会案内配布の日です。
今回は13名の奉仕者がありました。感謝heart01
今回も、黄金地区に配布しました。
教会案内を読んだ方の中から、教会に来る方が起こされますように!!

その後は、有志で伊達市近郊の虻田・豊浦・大滝に6月1日のライブのポスターを貼りにいきました。
快く受け入れてくれたみなさん、ありがとうございますhappy01notes

Dsc03327 Dsc03331 Dsc03334 それにしても、どこへ行っても、満開の桜。
ふと立ち寄った、以前教会で野外礼拝をした場所では満開の梅!!
(しかも写真ではわかりづらいですが、野生の鹿upwardrightにも遭遇。北海道ってスゴイshine
梅も桜も、りんごの花もいっぺんに咲いて、緑はやわらかい新芽に萌え、本当にいい季節です。
主のご奉仕をしながら、お花見。しかも、あちこちで偶然出会う人たちに神様ってスゴイと思わされました。(アイスを食べようと立ち寄った場所で、なんと以前DAKCに来て、転校してしまったお友だちに遭遇したのです。びっくりbleahでした。)

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礼拝メッセージから~変えられる人生~

「あなたがたの間では聖徒にふさわしく不品行もどんな汚れもまた、むさぼりも口にすることさえいけません。
また、みだらなことや、おろかな話や下品な冗談を避けなさい。
そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。聖書(エペソ5:3-4)」

不品行の中に生きていたエペソの人々は、神様によって変えられて神様の愛のうちを歩む者とされた。
そして、個人個人が、その私生活を整えられていった。
教会が成長するためにはは個々人が聖められる必要がある。

私たちも、神様からあがなわれたものとして、神様の喜ぶ生活をしていきたい。
そう考えると、今TVなどで放送されているものの中には、見る価値のないものが多い。
単にはやっているから、ということではなく、神様のフィルターを通して物事を考えていきたい。

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花いっぱあい!

 伊達でも、桜が満開になりました。
二人の姉妹のご奉仕で、教会の前の花壇にも花が植えられました。感謝!!
Dsc03321 Dsc03322

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礼拝メッセージから~神に倣(なら)う者~

「ですから、愛されている子どもらしく神にならうものになりなさい。
また愛のうちに歩みなさい。
キリストもあなたがたを愛して私たちのためにご自身を神へのささげもの、また供え物とし香ばしいかおりをおささげになりました。聖書(エペソ5:1,2)」

「神に倣(なら)う者」・・・偉大な人物に倣うものでも、大変なこと。
まして、神に倣うものになりうるのか??

答えはYes
なぜなら、
①私たちは、神様の形に似せられて創造されたから。
②イエス様を信じることによって聖霊が宿っているから。
③救われたから神様に似る者となる可能性がある。

神様が御手の中に私たちをにぎってくださるからクリスチャンとして成長していける!
なんと素晴らしいことではないか?

「キリストは私たちのためにご自身のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛がわかったのです。聖書(Ⅰヨハネ3:16)」

神様の愛の中で、わたしにはできない、でも神様はして下さる!という確信のもと歩んでいこう!!

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礼拝メッセージ~古い生活との決別~

「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 聖書(エペソ4:31,32)」

イエス様を信じたことによる変化にはいろいろなことがある。
しかし、それらは人格が、そういう高みに達したからではない。
イエス様の圧倒的な愛に触れたときに、十字架の意味がはっきりわかったときに、
神様に赦されたことを実感したときに、自分もまた赦すことができるようになる。

以前、こんな話を聞いた。
イエス様を信じた青年が、かつて自分が悪さをしていた街で、メッセージを語った。
ところが、一生懸命メッセージを語る彼に対して、その街の少年たちは、まじめに聞かないばかりか、傍らに置いておいた彼の帽子の中に汚いごみを詰め込んだ。
メッセージを語り終わった彼は、あまりのされように言葉が出てこなかったが、
この少年たちのようだった自分を、救ってくださったイエス様のことを思うと、でてきた言葉は、心からの笑顔とともに「ごみを拾ってくれてありがとう。本当は僕が拾わなければいけなかったのに。」だったという。
この言葉に心を打たれて、イエス様の話を真剣に聞く少年が現れたという。

イエス様によって赦されていることは、なんとすばらしいことだろう。

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礼拝でうれしかったこと

heart02 13日の礼拝でうれしかったこと heart02

note「幼児祝福式」がありました
 Dsc07456  昨年11月に生まれた「みづき」ちゃんが、神様に愛されて育つようにと幼児祝福式がもたれました。
(「幼児洗礼」とは違います。信仰は、「イエス様についていきます。」という意志が必要だからです。)
ご両親にとって、お子さんが祝福でいっぱいの人生を送ってほしいという願いを持つのは当然でしょう。
そのために、小さいときからお受験に一生懸命になったりする方もいらっしゃると思いますが、良い学歴や学校がかならずしも幸せに結びつかないものです。
それより、この世界を創り、どんな時でも愛してくださる神様に成長を祈ることが大切ではないでしょうか?
みづきちゃんに祝福あれshine

note 礼拝初参加
中学生になったお友だちが、礼拝に初参加しました。
DAKCのお友だちは、礼拝の前半部分だけ(メッセージの前まで)礼拝に参加していますが、中学生になったということで、最後まででたのです。
自分の意志で礼拝に出ることを選んだお友だちの姿に、ちょっぴり大人を感じてうれしくなりましたconfident

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礼拝メッセージ~悔いのない人生~

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(聖書ルカの福音書19:10)

ザアカイは、取税人で大金持ちだった。
当時、イスラエルはローマの支配下にあり、その手先となって働く収税人は嫌われていた。
そんなザアカイは、ある日イエス様が町にやってくるといううわさを聞く。
彼は、イエスがどんな方か見たいと思ったが、残念ながら背が低いため人込みに邪魔されて見ることができない。
そこで、いちじく桑の木に登ってそこからイエス様を見ようとする。
すると、イエス様が上を見上げて驚くことを言う。
「ザアカイ、急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

まわりの人はみな、「あんな人のところに泊まるなんて・・・」と陰口を言うが、
ザアカイは大喜びでイエス様を迎え、そして言う。
「主よ。ご覧下さい。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。
また、だれからでも私がだまし取ったものは四倍にして返します。」

イエス様は、決してザアカイにああしなさい、こうしなさいとは言われなかった。
しかし、ザアカイは本当にイエス様に出会ったとき、貯めていたお金は大切なものではなくなっていたのだ。
イエス様に心を満たされたら、他のもの(お金・地位・名誉・・・)をあくせく追い求めることがなくなる。

悔いのない人生をおくるために、本当に必要なお方に、心の真ん中の王座に座っていただこう。

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行ってきます!!

 今日は、伊達市黄金地区に教会のお知らせとパンフレットを持ってでかけましたshine
Photo 総勢12名。小さな働き手もまじっていました。

今日はぽかぽかの春の陽気sun
農業も盛んな伊達ならでは、畑が種まきの準備をしていたり、福寿草が咲いていたりと春の陽気を楽しみながら約250戸のお家にお知らせを届けました。

読んでくださった方が教会に見えるとうれしいですねheart02

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礼拝メッセージから~言葉~

 「悪いことばをいっさい口から出してはいけません。
ただ必要な時、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みをあたえなさい。                             聖書(エペソ4:29、30)」

今朝、TVの報道番組を見ていたら「学校裏サイト」の話題がのぼっていた。
話としては知っていたが、実際にその画像を見ると、その画面の毒々しさと、使われていることばの恐ろしさ、寒々しさに驚いた。
そんな毒をはく心の状態を考えると、哀れですらあった。

「心に満ちていることを口が話すのです。
良い人は良い倉から良いものを取り出し、悪い人は悪い倉から悪いものを取り出します。                   聖書(マタイ12:34)」


今日の礼拝のテーマは「人の徳を生かすことばを語れ」。
私たちの心の中には、不平や不満や悪口やそういう思いがうず高く積もっている。
しかし、イエス様を信じた時に、今まで悪口を言ったり、不平不満ばかり言っていた口に、神様への感謝のことばがのぼるようになる。

それは、自分の努力によるものではない。
心の真ん中の王座にイエス様が座ってくださったことによって、決して自分の心の中からは沸き起こってこない「愛」や「清さ」が満ちてくる。

「あなたがたのことばが、いつも親切で塩味のきいたものであるようにしなさい。
                                  聖書(コロサイ4:6)」


「塩味のきいたことばをしゃべらなくっちゃ!!」とがんばることではなくて、イエス様に心の真ん中にいていただいて、いつも人の励ましになることばを口から出していきたいと思わされた。

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礼拝メッセージから~働く意味

「盗みをしている者はもう盗んではいけません。
かえって困っている人に施しをするため自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。 聖書(エペソ4:28)」

ミートホープ、Fujiya、etc・・・
去年の一年を表す言葉が「偽」だったように、悲しいことに今「働く」ということの意味がわからなくなっている時代かもしれない。
「罪」は人間の本質であり、「わかっていても、やってしまう。」
だからこそ、「生まれ変わらなければ」「天からのいのちをいただかなければ」本当に正しいことがわからない。

なんのために働くのか??
「生活のため」「お金をためるため」
だが、それだけでは、「本当の喜び」がない。
通帳にお金が貯まっていくのが楽しいということもあるだろうが、それは次には不安や
懐疑心に変わっていく。

働く本当の意味は聖書に書いてある。
神様が私たちの創造者であり、聖書は「マニュアル」だ。
私たちがなんのために作られたのか、その取り扱い方法が書いてある。

「落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身をいれ、自分の手で働きなさい。
外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。 (聖書 Ⅰテサロニケ4:11)」

おのおのが神様から造られ、それぞれに果たす分がある。
自分にできることをしながら、生かされていることを喜ぶ。
これが神様が、私たちに望んでおられることではないだろうか。

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God is Working

Happy Easterの最中に一本の電話がかかってきた。
以前教会を訪ねてこられた方からの電話だった。
生き方に迷って、教会を訪ねて来られ、その後もいろいろあったものの
ついにイエス様に従う決心をして、イースターに洗礼を受けました、という電話だった。

聖書の中にも、「放蕩息子」のお話がある。
父親から身代を分けてもらい、外国でさんざん放蕩をした挙句、なにもかも使い果たした息子が「そうだ、父の家に帰ろう。使用人のひとりにしてもらおう。」と言って帰ってくると、父は遠くから息子の姿を見つけて走り寄ってくるという話だ。
毎日息子の帰りを待っていた父は、神様の姿だ。

「父のなみだ」という曲がHappyEasterで歌われたが、ひとりごイエスキリストを十字架につけるほどに、私たちを愛してくださった神様は、わたしたちが神様の元に帰ることを待っている。

HappyEasterの最後に、この電話のことを感動しながら話すと、
帰り際、この会に来てくださっていたご近所の電気屋さんの方が
「あの方でしょう。」と言う。
なんと、その方に教会の場所を教えてくれたのは、その電気屋さんの方だという。

God is Working ! 神様は今も生きて忙しく働いておられるrock 

 

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Happy Easter

No_2  はじめまして!
伊達福音教会は日本同盟基督教団に属する教会です。
今年2008年にスウェーデンの宣教師によって開拓されてから50周年を迎えます。
これを記念してBlogをはじめました。
どうぞよろしくお願いしますsign01

今日3月23日は、イースター(復活祭)でした。
朝9時からの教会学校DAKC(ダック)には、23名のお友だちが大集合!!
ゲーム「イカ・タコ・マンボ」で盛り上がり、イースターのお話を聞き、「ぷるんぷるんパーテPhoto_2 ィ」でプリン・ゼリー・ババロア・フルーチェを食べ放題!!
最高は10個食べたお友達。すごいnote
はじめて教会に来たお友だちもたくさんいて、うれしいイースターになりました。これからも続けて来てねheart02

イースター礼拝に引き続き、「Happy Easter」が行われました。Happy_easter
ちらし寿司をいただき、DAKCの賛美・ダンス、みんなで賛美をしてイエス様の復活を喜びました。
イエス様、復活おめでとうございます!!

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