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2008年9月

LiP、リレーフォーライフに出演

8月30日室蘭祝津臨海公園内で行われた、リレーフォーライフに出演しました。
リレーフォーライフというイベントは、世界中、日本各地でも行われていて、
北海道では初めての開催ということでした。

リレーフォーライフは、がんを患う方にその家族、周囲の人々が集まってともに、24時間リレーで歩き続けることを通して、決して一人ではないことを確認し合い、がんやその治療、そして生きるということに前向きになって欲しい、生きる希望をもって欲しいという励ましのイベントと聞きました。

LiPメンバーの中に、実行委員をしている方からの出演依頼があり実現しました。
当日はスタッフをこなすなかで、メンバーのためにも気を配っていました。(お疲れ様です)

本番での曲目は、
1.Amazing Grace
2.This is the day
3.Be still My soul
4.Turn it around
5.Oh Happy Day
6.君は愛されるために生まれた(もちろん子どもたちの手話つき!)
でした。

ステージの前で聞く人はもちろん、歩き続けている人たちも前を通る度に笑顔で手を振ってくれます。メッセージが書かれたルミナリエ(キャンドルサービス)のやわらかな光と温かい雰囲気のなか、メンバーも感動で胸がいっぱいになったようでした。
このようなイベントで賛美できたことが本当に良かったと感じたライブでした。

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8月最後のDAKC

8月最後のDAKCはお楽しみDAKCshine
外でおもいっきり楽しみました。
手つなぎオニ(普通バージョン)、手つなぎオニ(DAKCバージョン)、水かけオニなどなど。
それなのに、教会に戻ってからもまたまたタケノコをしました。好きね~happy01

メッセージはイスラエルの民がヨルダン川を渡り終わったときに、祭司が立っていた川底の石を部族がひとつずつ持ってきたことを聞きました。
それは、後に子孫が
「これは、なんですか??」
と聞いたときに
「昔、ヨルダンの水が契約の箱の前でせき止められ、ヨルダン川の乾いたところを渡ったのだ」
という記念になるためでした。

証の石は、神様に従った人たちが持ち得たものでした。
神様は「~なんだって。」「~だそうよ。」というお方ではなく、
「わたしに、~してくださった。」と、体験できるお方です。

ヨハネ9章に盲目の男の人が出てきます。
イエス様に目が見えるようにしていただいた人に、いろんな人がああだこうだ言いますが
男の人は
「わたしは、ただひとつのことだけ知っています。
私は、盲目であったのに今は見えるということです。」

と言います。
「わたしは、ただひとつのことだけ知っている。イエス様がわたしの救い主ということだけ。」と言えたらすばらしいなあと思います。

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今月も楽しかったよ☆

今回は、M穂ちゃんお手製の具だくさんトマトスープとA代ちゃんお手製のホワイトなクリーミィカレーとゆできびをみんなでいただいてlovely
大変美味しゅうございましたheart01 このように作ってきてくださること毎回感謝感激ですhappy01

その後、不良牧師アーサー・ホーランド先生のDVDをみんなで観て、、
やぁ・・・・本当、かっこいいなぁと。
使命の中に本当の自由があるという事、再確認shine
人の目を気にするのではなくて、神様は自分のことをありのまま愛しているのだから・・・・・
その、自分らしさを大切にして周りの人を大切にしてレッツゴーって思いました。。。。run

その後、今後TLYでどんな事していこうかぁ~と話して、色々な楽しそうな意見が飛び出し・・・これからのTLYに要注目的な感じがしましたheart

筆者的には約8年ぶりの再会となる旧友が参加して、いつものメンバーに一人プラスだったのがとってもうれしかったですhappy02

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聖書の結婚観

この世の価値観とクリスチャンの価値観には大きな違いがあるが、結婚観もそのひとつだ。

「人がひとりでいるのはよくない。
わたしは彼のために彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2:18)

聖書でいう結婚は「チームを作ってお互いに補い合う。」関係だ。
また、イエス様が教会をどれほど愛してくださったかを日常的に知ることができるのが結婚の大きな意義だ。
犠牲的な愛、清い愛、育て養う愛、不可分の愛・・・
これらは、私にはとてもとてもとても・・・できないことだが、
神様にはできる愛だ。
わたしにはない愛を神様から注いでいただこう!

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証の石

 イスラエルの民がヨルダン川を渡った時、ヨシュアは民に命じてヨルダン川の川底の石を部族ごとにひとつずつとってこさせた。

これは、後に子どもたちが「この石は何ですか??」とたずねたときに
「これは、神様がわたしたちをヨルダン川の乾いた土の上を歩かせてくださったのだ。」
と証するためのものだった。

この証の石は、神様に従ってヨルダン川を渡った人たちに与えられた。

「神様は、~なんだって。」
「神様は、~だそうだよ。」
という誰かから聞いた神様ではなく、
「神様に、こうしていただいた!!」
と神様を体験していきたい。

イエス様に目を見えるようにしていただいた盲人は
「わたしは、ただひとつのことだけ知っています。
私は盲人であったのに、今は見えるということです。」
と言っている。

Amazing graceの歌詞のI once  was lost, but now am found,Was blind, but now I see.(私はかつて失われていたけど、今は見出された。見えなかったけれど見えるようになった!)と同じだ。
この歌詞を書いたジョン・ニュートンは晩年「私はいろいろなことを忘れてしまったけれど、二つのことだけ覚えている。私が罪人であったことと、イエス様が救ってくださったことだ。」と言ったという。
「イエス様に救われた!!」
という喜びをしっかり握るお友だちになるようにshine

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