キリストが教会を愛したように
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
エペソ5:25-27」
キリストは、いのちを投げ出して教会を愛してくださった。
キリストがそうなさったのはみことばによって、わたしたちを清めてくださるためだった。
そして、しみやしわやそういったものの何一つない「キリストの花嫁」になることができる。
エステル記を読むと、王様の妃になるために、何ヶ月もかかって磨き上げられていったお妃候補たちのことが書かれている。
当時随一の王様のお妃候補のためでもこれほどであったということは、「王の王、主の主」である方のためにはいかほどの準備が必要だろうか??
しかも、エステルはただ自分の栄華のためにお妃に選ばれたのではなく、イスラエル同胞を救うために神様に選ばれた器だった。
私たちも、ただ「キリストの花嫁」に選ばれたことに満足せずに、「同胞 日本人」が、キリストに立ち返るために用いられる者とさせていただきたい。
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